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「田子町の歴史・文化 」カテゴリ記事一覧

田子町の虫追い(飯豊地区・細野地区)

青森県田子町地域おこし協力隊のつっちーです。

南部地方伝統の虫追い祭りは田子町にまだ残っており、飯豊集落(飯豊自治会)、細野集落(細野虫追い保存会)、原集落で行われています。そのうち、飯豊、細野は青森県の無形民俗文化財となっており、少子高齢化が進む中でも、祭りを大切にしています。

虫追い祭りはもともと農薬の普及していない時代に作物の害虫を駆除するまじないの祭りで、昔はどこでも当然のごとく行われていたものでした。
今回原地区は残念ながら所用により撮影できませんでしたが、伝統にのっとって人形作りからはじめる二つの集落の虫追いについてです。

飯豊

飯豊地区では旧暦の6月24日を基本にして7月24日に行われました。通常この日程ですが、状況によって変化することがあります。立ち姿の違う狛犬、女神の像がある法呂神社から出発します。
飯001
飯が豊かと名のごとく、水田が多い集落です。正式名称は『いいとよ』ですが、集落の方は『いんで』と呼んでいました。

飯002
人形に顔が貼ってあります。男女でワンセット。シンボルで区別できます。笛の吹き手も多く3名体制です。

飯003
悪虫退散 五穀成就 天下泰平 家内安全 その下はその家の子供の名前。

飯004
紙旗は自分の田畑にさします。

飯005
集落の端の田んぼから引き返し、集落の中を通って反対側の集落の端へ

飯006
最後につがいのわら人形は燃やされて儀式は成就します。

細野

細野は旧暦の6月24日に従い、7月27日に行われます。状況によって変化する場合もありますが、基本的にこの日にちです。
細野000
細野の紙札。悪虫退散 五穀成就 家内安全 天下泰平 四海万福 国土安康 そしてその家の子供の名前。細野は多いですね。四海万福は個人的に聞きなれないのですが、おそらく四海が世界という意味なので世界に多くの福がありますようにという意味合いでしょうか。ちなみにこれは昨年の写真

細野001
細野の皆さま。知っている南部町のカメラマンさんが撮りに来ていましたので、うまく笑顔にして下さいました! さすが.゚+.(・∀・)゚+.

細野002
細野は稲荷神社から出発です。

細野004
笛吹き手がいないですが、他の集落から応援できてもらっています。担い手がいなくなっていくと、祭りができません。

細野005
密かに参加(笑) 赤いシャツがぼくです。

細野006
細野のクライマックスはわら人形が抱き合い谷底へ

地域の伝統行事はいついつまでも続いて欲しいものです。
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つつじ咲く頃の田子町。町には隠れたスポットがいっぱい!

青森県田子町地域おこし協力隊のつっちーです。

最近は依頼された動画作成やフォトコンテストの準備(急がねば…)農作業やエゴマ関連の加工品などなど……
なかなか遅れることも多い状況( ノД`)
振り回されることが多いのは何でもやりたくなるからですが^^; 

さて、来月6月4日にはつつじまつりが開催されます。
ヤマツツジが町の花であることからご存知のように大黒森には広大なヤマツツジの群生地があります。
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_006
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_007
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_008
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_009
これはヤマツツジではなくレンゲツツジのようです。山頂はヤマツツジが咲いています。
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_004
黄色も素敵ですね!

このレンゲツツジは山頂からかなり下のほうに植樹され管理されてきました。大黒森の山頂に咲くヤマツツジまで続いているのです!!
先日、ここのつつじを以前管理していた方に案内してもらいました。
管理していた頃から10年の歳月が流れ、ツツジが弱っているのに心を痛めている様子でした。

山頂付近は雑草の刈り払いが進み、散策路が確保されています。
ただ、つつじまつりの期間前に、丁度今頃開花。

つつじを楽しむ場合はまつりの序盤がオススメですね!!

それにしてもこれほどツツジがあるとは協力隊活動1年半過ぎてやっと気付きました。
このように町には多くの資源がまだまだあります。
ドコノ森も探索しないといけません。

そしてやっと行けた~
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_005
創遊村を見下ろすあずまや

案内してもらえて感無量ヽ(≧∀≦)ノ
早速アドベンチャーマップに追加だ~!!!
また昨日このような土器の取っ手部分を見せて頂きました↓
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_003
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_002
土器の破片。後ろの写真はイメージでこの土器のものではありません。

野面平遺跡からの出土だそう。この遺跡は土偶も出土した場所です。
田子町の歴史を綴った書物「じゅずかけ」によれば、縄文時代中期のものとのこと。
田子町では縄文の遺跡だけでなく、ストーンサークルも2つほどありました。
大福山の田子中学校付近と関地区に。
大福山
大福山のストーンサークルがあったと思しき場所の近く。
見た方の話ですと、この山の斜面の平らになった場所にあったとのこと。この石のベンチは探したときにあったもの。草が生えている場所にいきなりありました~(ストーンサークルとは関連なさそうですが)
現在もあるかは定かではありません。しかし、草がない時期にもう一度散策してみたいですね。

関については現在はその痕跡すらもありません。
そしてこの山
田子町地域おこし協力隊つっちーのブログ20160526_001
夏坂近くの山

この奥には近くにあった不老倉鉱山跡の支山の坑道があったということ(現在は塞がっているかもしれません)
それとこの山のピラミッド型。

鹿角市にもストーンサークルがあり、ピラミッド型の山が近くにそびえています。鹿角市は田子町のお隣の市です。
この一帯は同じ信仰があったのかもしれません。
またドコノ森の線刻石など、信仰の片鱗があちらこちらに見られます。
どうしても小さい町ですから、そういった研究は頓挫するのが常ですが、今も関のストーンサークルが残ってくれていたらと思う気持ちで一杯です。

統廃合された小学校なども残すことが難しいので壊されていきます。(これは田子町だけでとは言えません)田子町には唯一水亦分校の小さな木造校舎が生活館として残っています。
現状世の中には様々な法律でがんじがらめで危険ばかりを叫ぶ風潮があり、本当の楽しみや憩いや過去を回想して思いを馳せることも難しい時代になりました。そういう中で地方は地方にある財産の活用をどのようにすべきか悩んでいます。
なかなかひとつのものに邁進するのは難しい部分もありますが、そういったものを大切に保存していければと思いますね~まあ協力隊終了後の事業計画をはっきりさせていかないといけないですが、まずは目の前のフォトコン関係とエゴマの栽培振興を頑張らなければ~͞͞(๑`・ω・´);
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第30回東京田子会写真集 ☆更新しました(12/3)

青森県田子町地域おこし協力隊のつっちーです。
今日は、第30回東京田子会の写真を。東京田子会とは、東京などの首都圏にいらっしゃる田子町出身の方で結成された会です。今回で30回目なので、在郷の人々との繋がりが30年以上あるということですね! このまま、交流が続いてほしいところです。

余計な文章を消して写真うp

IMG_0351.jpg
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まずは田子町のアンテナショップです。やっとアンテナショップを見ることができました。
アンテナショップについてはこちらをご覧下さい。
町のHPに所在や地図などが記載されています。
アンテナショップについて

204.jpg
田子会の準備風景。前日入り致しました。車で(○´艸`)8時間~9時間掛かりました(笑)
運転して頂いた方に感謝と心から労いたいです。

東京田子会の様子。
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色合いなどはホテルの照明の色なので、撮ったままの写真にしました。
何かの機会に参加の方の目に触れて、田子会を思い出し繋がりの一助になればと思います。
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ドコノ森の線刻石

青森県田子町地域おこし協力隊のつっちーです。
以前東京でセミナーに参加した際に名刺交換して皆様に、

青森県田子町を知っているかどうか
知っている場合はどんなことを知っているか

尋ねました。するとまずは

にんにくの町
宇宙人の町

という回答が得られました。

 宇宙人……確かに1989年にキャトルミューティレーションではないかという牛の変死体が発見されたことがあります。乳房が切り取られ、血液は出ておらず。そしてこれは8月と10月に別の牧場で起き全く同じ状態であったとのこと。
 田子町はたっこにんにくと田子牛の町。田子のベコは高原の広々とした場所にいたりしますので狙われたのかもしれません。日本でのキャトルミューティレーションの事例は田子町だけのようです。また田子町だけゆえか、日本でキャトルミューティレーションは起きたことがないと言う人もいるようですね~(実際に起きました。宇宙人の仕業かどうかは別として)

 まあそれはさておき、青森県はミステリースポットの宝庫です。今日は田子町のミステリースポット『ドコノ森』という名の山(森というとこちらでは山を意味します)で見つかった不思議な線が刻まれた石の話題です。
 かつては様々な学者さんたちが調べたそうですが、一時期入山した方が石を持ち去るということが頻繁に起き、それからはあまり大きな声でこの場所を言うこともなくなってしまいました。昔はポスターもあったようですね。
矢追くんはまだ知らない
田子町歴史民俗資料館で発見

 かの有名な矢追教授がまだ知らないオカルトということでしょうか。ちなみに『タプコプ』とは田子町の語源となったアイヌ語(小高い丘という意味)。
 それで、ドコノ森に落ちていた石ですが、何点か写真があり、その線をなぞってみました。
ドコノ森06
ドコノ森05
桃木01

 アイヌ文字の流れを組むという神代文字(かみよもじ)『桃木文字(もものきもじ)』のカナ対照表と照らし合わせてみました。
 まあ感覚でなぞっただけですのでこれが正しいとは思いませんが、『イ』と『ウ』の線は大きくかなりはっきりとしています。アイヌ語で近い表現ですと、『イウォル』。狩場などの生活領域を意味する言葉。
 上のほうの3つ『ツ』『ル』『ハ』は他の文字の可能性(そもそも文字かどうかも不明ですが)もありますね。ツルハと言えば、北海道が本社のドラッグストア……。何か関係あるのか??? なーんてね。
(もちろん石に直接書いたわけじゃありません。コピー用紙ですよ)

お次はこの石
ドコノ森01
ドコノ森02
これは文字としても捉えられますが、絵のような感じになりました。この石の線刻を文字だとするならアイヌ文字に形が似ているかもしれません

 なんとなく、人の生活様式(戦争?)に見えなくもないような……^^; しかし模様が多く不思議な石です。石の写真はこれ以外にも確認しておりますが、同じ模様のものは見たことがないです。多くの資料を必要としています。

IMGP0472.jpg
川崎真治先生が線をなぞった図

川崎真治先生の説だと、シュメール族の神々が描かれているとのこと。

なんにしてもこのような考えたりするのはロマンがあります^^
ドコノ森は今年是非行きたいスポットですね。

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青森県田子町~山伏が伝えた田子神楽~①『権現舞(ごんげんまい)』

青森県田子町地域おこし協力隊のつっちーです。今日は先月2月15日に八坂神社で行われた『神楽大祭』の動画をアップしたいと思います。(権現舞をアップしました。桜子、翁舞は後日アップします)

◆田子神楽について
 青森県が誇る民俗芸能のひとつ、田子神楽。約400年前、南部家27代南部利直公が田子城で誕生したあたりから発祥したと伝えられている。利直公はその後三戸城主となり、盛岡城に移っても正月の16日には城に招き、春祈祷をさせた。つまり田子神楽は南部家の御用神楽の地位にあったわけです。
 羽黒山の山伏神楽の流れをくむ田子神楽は5拍子でテンポ速く、型が複雑で古い趣が保たれています。田子町では『田子神楽保存会』が主体となって継承に取組んでおり、八坂神社での奉納、田子町の各種イベントでお披露目されています。

田子神楽~青森県指定無形文化財~ 田子神楽保存会
1.所在地
 三戸郡田子町は三戸町から西へ約10キロ、むかし南部領だった秋田県鹿角郡(現在は鹿角市)と隣接しており、八戸と南部をつなぐ交通の要所でした。
2.由来と特色
 地元では、この神楽を“田子獅子舞”といっていますが、いずれにしても東北の太平洋側のみに分布している山伏神楽の一つです。
 伝えによれば、嘉永五年(西暦1851年)、大法院斉藤法印が田子に土着し、この神楽を安定させたと申しますが、勿論、その前から神楽はおこなわれていました。法印というのは山伏のことです。南部公が三戸在城中は、三戸梅内の大蔵院とともに、南部公の御用神楽となっていました。公は盛岡城へうつった後は、毎年、正月十六日、登城して奏するならいでした。ですから二組とも、獅子の幕には藩の定紋である向鶴をいれることを許されていました。
 それが明治維新後は八坂神社の神楽になり、やはり斉藤家が中心になってきました。
 田子神楽は葛巻や楢山とおなじく、五拍子のキビキビしたものですが、旧正月に町の家々を廻る。「門打ちの通り神楽」のときは、“七つもの”といって、剣、ナギナタ、弓張、権現獅子、太鼓、笛、テスリ鉦など、七種の持物をそろえて練ってゆく古式を残しています。
3.構成
 舞手とハヤシ方とからなり、ハヤシは笛(一人)・タイコ(一人)・テスリ鉦(二人)といったようなメンバーです。
 田子神楽は、本県の杉沢比山や平技番楽などとよく似ているというのも山伏神楽と番楽とは同系の芸能だからです。
4.曲目
 舞曲としては「権現舞」「番楽」「三番叟(さんばそう)」「年寿」「山之神舞」「薬師」「桜子」「八島」などが伝わっていますが、今回は「しとぎはたき」と「鶏舞」をご覧いただきます――

――出典:『じゅずかけ』田子町郷土研究会資料から(第六号・18ページ)


向鶴
南部家の紋『向鶴』

……田子高校郷土芸能部が主に舞う「鶏舞」「傘舞」「盆舞」は新しいスタイルとなるわけだ。たっこにんにくまつりで見た「翁舞」というものもある。また、文化遺産オンラインからの引用も記載します。

 この芸能は、青森県三戸郡田子【たつこ】町の八坂神社の祭のおり(旧七月十四、十五日)および、旧正月などに行なわれるもので、権現の獅子頭をまわして祈祷するのを本旨とする山伏神楽・番楽とかいわれる神楽の一種である。
 特に旧正月中は、「春祈祷」と称して各家々を回って祓いをする。これは「舞立ち」「門打ちの通り神楽」などともいい、その練りは古風を遺している。
 岩手・秋田・山形県の同類型の神楽にくらべて、概して囃子のテンポも早く、舞の型の複雑な一類を代表するものといえる。
 曲目は計十六番が伝承されており、「四方番楽」「念寿」「桜子」「機織」などは演技法としても特色が著しく、また五拍子といわれる囃子は、笛・太鼓・手摺鉦の三種で演奏される。
 また、能大成以前の舞曲の面影をもとどめているなど、芸能史的価値も高く評価されている。


 舞曲についてじゅずかけでは「年寿」であり、文化遺産オンラインでは「念寿」となっている。言葉としては「年寿」が正しいと思われる。もしかすればいずれもあるのだろうか。現在は十六番が継承されているとされるが、八坂神社にはそれをはるかに上回る種類の面が奉納されている。

田子神楽 八坂神社に奉納されている面
田子神楽で用いられた面(田子町・八坂神社)

権現舞


田子神楽 権現獅子
権現獅子。古いものから新しいものまで

田子神楽 権現舞01
田子神楽 権現舞02
田子神楽 権現舞03
田子神楽 権現舞04
田子神楽 権現舞05

田子神楽 権現舞06
10分以上ずっと舞い続ける。お疲れさまでした。

田子神楽 権現舞07
権現舞はまさに舞い立ちぬ!

田子神楽 太鼓・笛・テスリ鉦01
田子神楽 太鼓・笛・テスリ鉦02
太鼓・笛・テスリ鉦も素晴らしいですね^^

桜子(さくらこ)
田子神楽 桜子01
田子神楽 桜子02
田子神楽 桜子03
田子神楽 桜子05
舞手はお面で半分しか見えないそうです。保存会の皆様はあねっこ舞と呼んでいました。

田子神楽 桜子04
滅多に披露されることがないそう。幸運でした!

桜子の舞手は黒留袖を着用するのですね。なるほど。田子神楽はもっと知識を得たいと思います。

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